「“選手”という言葉」
今日はFBで繋がっている広尾晃さんの記事で考えさせられたことについて。
最近は、SNSなどで試合に全員出しますか?というのが話題になることが多いようだ。
日本のスポーツ界あるあるで、出ないから、使ってもらえないからチームを去る、文句を言う...、など。
出れなくても一生懸命声出してる子がいるでしょ、とか、努力が必ず報われるとは限らないことも部活やスポーツを通して教えるのも仕事なんです、とか...。
そんな話の中で、日本語の「選手」は、「選」ばれた、と言う意味になってないか、という問いかけ。
初めて「選手」という言葉の意味を考えた。
もちろん、選ばれた人、限りある人しか試合に出られないことは多々ある。レギュラーもいれば補欠もいる。
一昔前にあった、みんなで手を繋いでゴールイン!的な平等意識?に私は反対だけど、だからといって、子供たちが好きで楽しくて本来始めたはずのスポーツで、早いうちから、「選」ばれた子だけが試合に出る、ということは本当にありなのか?
昔の自分はまさにこれ。レギュラーをほぼ固定して経験を積ませる!ってやってた。とても心が痛い。生徒たちの可能性を伸ばしてあげられなかった。何も残してあげられなかった。
本来のスポーツが持つ意味、生徒たち一人一人の可能性を伸ばす、可能性を最大限引き出す、という視点。これを大切にこれからも指導していく。部活は野球を楽しみ、人としての学びも深めていける場所、友人や先輩、後輩、周りとの絆、信頼、成長を積み重ねていく場所。そんなことを大切に。
では、また明日からワクワクで(^^)