としや‘s ブログ

日々の学びや感じたことをアウトプットしていきます(^^)!

「指導者は倍速で‼️🤣」

さて、今回からは教師として、指導者として必要な考え方、言葉、スタンス、などを書いていこうと思います。

第1回目の今日は、

 

「指導者は倍速で学ぶ(成長だったかな)必要があると思います」

 

これは2年前?筒香義智選手(MLBプレイヤー)がオンラインセミナーで伝えてくれた言葉です。

今の野球界、指導者向けに話してくれたなかで、伝えてくれたのですが、

「指導者こそ学んで自分をアップデートしていく必要がある」

と話していました。

 

私の中で一番残ったフレーズは、

 

「倍速で」

 

という部分です。

 

野球指導者としても、社会科教諭としてもそうだと感じます。

40を過ぎて学びの大切さをひしひしと感じている今、この「倍速で!」というフレーズが時々、私に言ってきます。

 

「倍速やで!倍速‼︎ 」

 

 

不思議なもので、学べば学ぶほど、まだまだだなぁって感じる気がします。

野球も授業も、その他のことも。

 

情報が沢山溢れる今の時代、生徒の質問や疑問にしっかり答えたり、納得させたり、やる気を引き出すためにも、学び続ける必要がある、と感じています。

 

そして学んだことをアウトプットする実践力、行動力も大切‼︎

 

う〜ん、まだまだ私自身が顔晴らねば💪

 

謙虚に、それでいて堂々と、どっしり構える教師、指導者でいられるように、

 

学びを止めるな!

 

です。もう一度...、

 

倍速やで!倍速で‼️🤣

 

ではまた次回ワクワクで😁🌈

 

「私の教員人生パート9〜 これから 〜」

今日はいつもより早めに書いてみます。

 

初任から8年間、普通高校。野球部監督も1年目からやらせてもらう。

事情により3年限定での特別支援学校勤務を希望すると普通異動となり、2校11年の特別支援勤務。

そして、その11年で多くの学びや気づきを得て、3年前から普通高校に戻りました。

 

普通高校に戻る時も不思議な縁がありました。巡り合わせというか...。このことについては、また機会があれば書いていこうと思います。

 

3年前、普通高校に戻った私は、実に13年ぶりに担任を受け持ちました。2年生です。

最幸のクラスにしたいな、というワクワクしかなくて、楽しみにしていました。そしてもう一つ、念願叶って野球部の指導にも復帰できる喜びもありました。

 

もう以前の自分とは違う、ボトムアップ思考で、ワクワク、喜びを大切に高校生と向きあおう!と考えた私は4月、教室の黒板前に

 

「毎日ワクワク‼︎」

 

「良樹細根」

 

と張り出しました。いつも生徒の目にするところに。

本来、学習するうえでは、黒板付近には何も貼ったりしない方がいい、らしいのですが、私はとにかく、生徒たちに最幸の高校生活を送ってほしい、そのために必要なのが、この2つの言葉だと考えていたんです。

 

ワクワク‼︎

この言葉は本当に大切だし、いい言葉だと思います。何をするにもワクワクを大切に!

 

良樹細根

これはボトムアップ理論を学んでいくなかで知った言葉です。良い樹は根っこが細かくしっかりしている。→ 人も同じ。目に見えるところよりも目に見えないところ(=根っこ)を大切に、という意味です。

 

クラスも部活も、私自身も、そう在りたいと考えています。

 

11年ぶりの普通校勤務はスタートと同時にコロナ禍で休校というかたちになりましたが、一年目からほんとに楽しく過ごさせてもらっています。もちろん、悩みやストレスだってありましたが😅それでもやっぱり

 

最幸だな〜、恵まれてるなぁ、

 

と今も感じています。

 

復帰1年目、ある生徒との間でちょっとした行き違いがあった時、横で見ていた生徒から

「先生、怒らないよね、怒ってもいいのに。」

と言われたことがあります。その時の私は、「参ったなぁ、どうすればこちらの言うこと理解してくれるかなぁ」くらいに考えていたんです。でもその「怒らないよね」の一言で私は気づきました。

 

そうか、以前の私なら、「お前、許さん、なんだその態度は!」的な怒り方をしてたはず。

おー、俺成長してるんじゃないか🤩

 

「先生怒らないよね」はある意味私の変化をわかりやすく伝えてくれる言葉でした。なんだか少し嬉しくなるような。

 

 

今、私は野球部をボトムアップ思考で指導しています。練習メニューは可能な範囲で生徒たちに考えてもらったり、全員リーダー制を取り入れたり。

授業でも、目標は「教えない授業」です。これはなかなか難しいですが😅

 

 

特別支援学校には特別支援学校の良さ、楽しさ、学びや気づきが沢山あります。

ただ私は、やはり普通高校でもう一度チャレンジしたいことがあって、幸いにも、そのチャンスを頂くことができた。だから、ここからも目一杯、今までや今に感謝して、楽しみながらチャレンジを続けていこうと思います。

 

「夢は正夢‼︎」

侍JAPAN、野球日本代表監督の栗山英樹さんの言葉です。

本当にそうだなぁ、と思います。

 

私の教師としての夢・目標、やる事は、

 

ボトムアップスタイルで、育成と勝利のWゴールを高いレベルで実現すること!

 

・関わる生徒たちの可能性・能力を120%引き出すこと!

 

です。この2つをワクワク楽しみながら実現していこうと思います。実現します!

 

実現できました‼️ ありがとうございます‼️

 

最後は予祝でまとめました。

 

ということで、Part9まで続いた「私の教員人生」。これにて一旦終了です。

この続きは、目標を実現した後に書くことになります。自分で自分に期待しておきます。

 

昨日も読者0。

う〜ん、まぁ、しょうがない。

でも、もし誰か読んでくれる方がいれば、読んでくれてありがとうございます‼️

 

次回からは違う話になります。

ではまた次回😁🌈

「私の教員人生パート8〜ボトムアップ理論で‼︎〜」

今日は旧盆最終日、ウークイ。本来なら遅い時間まで実家で過ごしてご先祖様をお見送りする「送り(ウークイ)」ですが、今年はコロナの影響で私たち次男だけ、お昼に実家で手を合わせるのみとなってしまいました。それでもそれができただけでも良かったかなと思います。早くコロナが収まる、ただの風邪のようになってくれるのを願うばかりです。

 

さて8月に入ってなぜか続いている「私の教員人生」シリーズ。今回は、今の私の土台になっている「ボトムアップ理論」の話をしようと思います。

 

ボトムアップ理論を知ったのは、山梨県立都留高校の柏木先生(現在は甲府西高校)のもとへ見学に行った時です。

 

ボトムアップ理論とは、2006年に広島県立観音高校サッカー部をインターハイ優勝、日本一に導いた畑喜美夫先生が提唱されている人材育成法です。

 

選手育成の3本柱、組織構築の3本柱、全員リーダー制の三大原則をもとに生徒の主体性を高め、練習メニューや大会に出場する選手や戦術の決定などを生徒主体で取り組んでいく、育成論です。挨拶、返事、後片付けなどを生徒たちが進んで取り組み、チーム、そして学校をより良くしていく、さらには生徒たちが指示待ちでなく、自ら考えて行動する、そんな素敵な育成法です。

 

私も柏木先生の実践を目にし、いつか監督になった時には、この理論をもとに指導していこう!と決意しました。

 

そして、ボトムアップパーソンズ協会に入会し、2019年には畑先生の講演を聴くため広島へ行きました。

 

まだ、特別支援にいた私ですが、早速見よう見まねで、作業という時間の洗車活動を生徒たちに任せていく、ということをしたりしました。

 

生徒が自ら考えて動く、これって本当に大切なことだと思います。授業でも、部活でも「つぎ何したらいいですか?」と聞いてくる生徒は今でも沢山います。これからの時代に求められるのは、自ら考えて動ける人財、だと言われてもいます。確かにそうだと思いますし、何より、自分の人生、自分で考え決断し、行動する。失敗してもまた挑戦していく、そんな人になってほしい。ボトムアップ理論を学ぶようになってから、そう強く思うようになりました。

 

私は今もボトムアップ理論の学びを継続中です。ボトムアップ理論は学べば学ぶほど発見や気づきがあり、生徒たちの成長に驚かされる場面も沢山あって学んでいて本当に楽しい、実践してなお楽しい!ワクワクが続いていく、そんな理論です。😁

なので私は教員を続けているうちはずっとボトムアップ理論をベースに生徒たちと関わっていくと思います。そしてこの学びは、この先ずっと続いていくんじゃないかと思います。

 

柏木先生、畑先生、ボトムアップ理論との出会いは、私の教員人生に大きな影響を与えてくれ、ベースになっています。本当に感謝です。

 

私の実践はまだまだ発展途上です。これからも生徒たちと成長を積み重ねていきます。楽しみです😁

 

ということで今回はここまでです。

 

次回は、もしかすると「私の教員人生」シリーズの最終回になるかもしれません。テーマは「これから!」かな😅

 

今回も誰か読んでくれる人がいると嬉しいなぁ。

ではまた次回‼️🌈

 

「私の教員人生Part7〜11年がくれたものIII〜」

沖縄は昨日から旧盆で今日はナカヌヒー(中日)です。今エイサーの音が聞こえています。沖縄の伝統文化のエイサーは旧盆の名物ですな。特に私の住む中部はとても盛んです。エイサーの太鼓、パーランクー、三線、指笛、踊りに沖縄の人はそれこそ「チムドンドン」しますね〜(^^)

 

さて、結局3回目まできてしまった“11年がくれたもの”ですが、今回は2冊の本が私を動かしてくれた話です。動かしたのは心だけでなく、身体を。行動させたんです。

その2冊はこちら!

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特別支援2校目となった私は、ここからの5年は、何か意味がある。だとすると、5年間でできる次への準備をしっかりやろう!と考えていました。教員になって最初の8年間、何の力もないままに指導していた高校野球。つぎその場に戻った時に、成長していられるように、野球を学ぼう!と考えたんです。それで野球関係も、それ以外の本もそこそこ読むようになっていたのですが、2017年、2冊の本に出逢ったんです。

 

「新時代を勝ち抜く」

有名な監督さんたちはどんな考え・姿勢で指導しているのだろう?監督として大切なことって何なのか?そんなことを知りたくて、読んでいました。

そして、この本で私が興味を持ったのが、「プレイヤーズ・ファースト」のボトムアップスタイルで指導されている山梨県立都留高校の柏木洋和先生の指導法でした。

ボトムアップ?なんだそれは?生徒主体ってどこまで?どういうやり方をしてるんだ?

でもなんとなく、これからはこれだ‼︎ こんな指導が広まっていくんじゃないか?自分がチャレンジするならこのスタイルだ‼︎ た直感したんです(^^)

 

「超攻撃的バッティング論」

そして、もう一人、神奈川県立相模原高校の佐相眞澄先生のバッティング論にも触れてみたい、と思いました。佐相先生はバッティングの指導に定評があり、中学野球で実績を残され、高校野球でも県立ながら激戦区神奈川でバッティングを中心に打ち勝つ野球を実践されている全国的にも有名な監督さんです。

 

ほぼ同じ時期にこの2冊を読んだ私は、見学したい!実際に指導を観てみたい!と思ったんです。そして、何のつてもないまま直接学校に電話して、その年の年末に見学させてもらえないかお願いしました。その時の私は特別支援学校勤務ですから、「沖縄で高校野球の審判員をしているものですが、...、見学させて下さい!」とお願いしました(当時、私は高校野球と繋がりを持つ、学ぶ意味で審判に復帰して、たくさん立審させてもらっていました)。もしかするとお二人とも「審判?」と思ったかもしれません。それでも快く許可してくださり、年末見学に行くことになりました。

 

この時の自分の行動力、今考えても不思議です。それまで、自分から学びに行く、見学なんてほとんど考えたこともない、誘われても行かなかったような自分が何の接点もないお二人に電話して1人見学に行く。緊張もあったけれど、その何倍もワクワクが大きかった。

 

初日は柏木先生の都留高校さんへ。合宿中ということで、なんと私も学校に寝泊まりさせてもらい、遅い時間までボトムアップ理論や実際の指導法など教えて頂きました。

2日目は佐相先生の相模原高校へ。朝のトレーニングに始まり、午後のバッティング練習までじっくり見学させて頂き、その後は夜遅くまで野球のこと、バッティングのことをお話しして頂きました。

お二人とも熱心に接して頂き本当にありがたかったです。

 

学ぶって楽しい‼︎

 

心からそう思ったのは、もしかしたらこの時が初めてかもしれません。

 

野球からはそれますが、2泊3日のこの旅?、最終日には生まれて初めて新宿に落語を観に行きました。これまた面白かった。

大学4年間東京にいながら一度も行こうと思わなかった落語まで観に行ってる。本当に不思議です。この3日間はもう充実感半端ない濃い旅になりました。

 

ここから私は、野球に対する学びを深めていくことになります。そして、その学びは今も継続中です。その中心は、

 

ボトムアップ理論」

 

です。これが最幸なんです😁

 

ということで、今回はここまでにします。

次回は「ボトムアップ理論は最幸!」というテーマでいきます。

 

相変わらず読んでくれた人がいるのかいないのかわからないブログですが、もし読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。

 

ボトムアップ理論はおすすめの指導法、考え方なので、次回ぜひ読んで頂けたら、と思います。

 

ではまた次回😁🌈

「私の教員人生Part6〜11年がくれたものII〜」

いや〜参った。昨日「エッセンシャル思考」読み終えたばかりなのに、私の文章長っ‼︎  完全に非エッセンシャル!まぁ誰にも気づかれないブログなのでいいか😅

 

ということで、今回もテーマは「11年がくれたもの」です。

 

高校野球の監督になりたくて教師を目指し、実際夢が叶ったものの訳あって、特別支援学校へ転勤。3年で普通校に戻るつもりが11年勤めることになって...。前回はその11年で、いかに自分が恵まれているかなどの「感謝」に気づいた。という話をしました。

 

気づかされたこと、得たものは他にもいろいろありました。

 

夢・目標である高校教師、監督になることができた自分。でも、そこから先の理想や目標を持てずにやってきたそれまで。家庭のこと、妻の大変さに気づけなかったそれまで。

そういうことに、この11年が気づかせてくれました。

 

家事を手伝うようになり、特別支援にも慣れてきて、少しずつゆとりも出てきた頃から、マラソンにチャレンジしたり、それまでほとんどしていなかった読書をするようになったり。始めは、そんなところから「気づき」が出てきました。

 

初めて那覇ラソンに挑戦した時、生まれて初めて応援の力の凄さを感じました。

読書をするようになって、「生き方」を考えるようになりました。本で世界が広がったり、いろんな価値観に触れることができることを知りました。

 

最初の8年は、「俺は野球で忙しいんだ!」と勝手に殻を作っていた私が、野球から離れ、違うことにチャレンジできたことは本当に大きかった。実はそういうことが、教師、指導者として大切!ってことにも後々気づくことになります。

 

そういうことに気づいたのは、2校目の特別支援勤務の頃です。最初の6年間はまだまだ気づけてないことも多かったな、と今書きながら思い出しました。

 

そう。そうなんです。

1校目の6年が終わって、普通校に復帰できなかった私。でも今考えると、その時点でもし、希望通りに普通校に復帰していたら、実は私、それ以前とほとんど変わらなかったんです。

神様が、「お前はまだだ。もっと学べ!もっと気づけ!」と判断したんだと思います。

 

それ以前と変わってなかったこと。それは、まだまだトップダウン的な指導しかできてない、というところです。

親として、教師・指導者として「ああしなさい、こうしなさい」という接し方だったんです。時には子どもを怒鳴ったり。そんなところがまだその当時、多かったんですね。学校ではなく、家庭や子どもの少年野球の場で。

 

それが特別支援勤務の後半5年で少しずつ変わっていくことになるんです。

そのきっかけは、やはり “ 本 “ でした。

 

ということで今回はここまでにしときます。

やっぱりうまく伝えられてない気もしますが、しょうがないですね😅

 

前回は読んだ人0でした。それでも書きます。好きなので。

 

次回は、11年がくれたものIIIになってしまいます。

 

読んだくれた方がいたら、ありがとうございます😊

 

ではまた次回‼︎

 

「私の教員人生Part5〜11年がくれたもの〜」

今日は自宅待機4日目。朝から読みかけの本を2冊、読み終えました。

「22世紀の民主主義」成田悠輔さん

「エッセンシャル思考」の2冊。

最近になって成田悠輔さんを知り、興味を持って書籍注文して読みました。読み終えての感想。やはりいろんなことがAIに取って代わられるのか、マトリックスの世界に近づいてるなぁ😅です。

 

さて、今回は私の教員人生の中盤、11年の特別支援学校勤務時代がくれたもの、というテーマで書いてみます。

 

まず結論から。

 

この11年は私にとって必要な時間だった。

 

です。教員としても、親としても、夫としても...。

この時間がなければ、もしかすると、私はいろんな間違いをしたり、家庭も崩れていたんじゃないか、と思います。

 

なぜか?

 

それは、前回も書いた、それ以前の私には「生徒のために」「感謝」「貢献」などがあまりにも無さ過ぎたためです。

 

特別支援での11年はそれに気づく、学ぶための時間でした。これは、勤務している頃からうっすらと感じたり、考えたりしていました。

 

はじめの頃は正直、何度も「俺はなんでここ(特別支援)にいるんだろう?なんで?」と思いました。何回も。

 

ぼんやりそんなことを考えると、そのうち「これにはきっと意味がある。何かある。」と思うようになっていきました。

 

「じゃあ、その“意味”って何か?」

 

まずは家庭で...。

特別支援勤務になってから、私はそれまで全くやってこなかった家事を担当することが多くなりました。部活もなく、放課後、土日は普通校とは違って時間があります。3人の子供たちも上が小学校、下は保育園になっていました。習い事の送迎や食事作りが主な担当です。

恥ずかしい話ですが、初めて米を洗った時は握りつぶして米が粉々になってました。カレーも作れませんでした😅

朝ご飯を作り、片付けして、洗濯物を干して、畳んで、昼ご飯を作って...、家事ってめちゃめちゃ大変🤣‼️

そんなことも初めて知って、他にもたくさん気づいてなかったことが見えてきて...。

 

自分は本当に何もしてなかった、わかってなかった。好きなことだけ、自分のことだけしかやってなかったんだ。全部妻に任せきりだったんだ...。😣😣😣

 

職場でもそうです。目の前には障がいのある生徒たち。明るく、素直で笑顔が最幸な生徒たち。言葉でのコミュニケーションが難しい生徒もたくさんいます。そんな生徒たちがいろんなことに頑張ってる。そんななか、本当に辛いのですが、卒業後若くして亡くなる生徒もいます。それまで私が接してきた生徒とは全く違う生徒たち。彼らと接する毎日で、気づかされたことは沢山あります。

 

誤解してほしくないのですが、「普通」ってすごいことなんだ、当たり前って当たり前じゃない、そんなことに気づかされた感じです。

自分って恵まれてる、何不自由なく好きなことをやれてる、人並みに暮らせてる、これって本当に感謝すべきで、周りに対して不平不満や愚痴・文句言うのは違うよな、そんなふうに考えるようになっていきました。

 

私が特別支援に勤務している“意味”。

それは、それまで私が全く見えていなかった「感謝」すべきことに気づくためだったんです。私なりにそう解釈しました。そこから少しずつ私自身変わってきているんじゃないか、と思います。

 

ということで、今回はこの辺にしときます。

11年がくれたもの、まだすべては話せてないです😅

なので次回も同じテーマになります。つぎは教師として、指導者として得たことについて書いていきます。

 

なんで書いてるのか自分でもよくわかりませんが、まだまだ続きそうです。

「書きたいから書く!」

将来、一冊の本になるといいなぁ。などと、心の奥底ででぇーじ(とっても)ひそかに思っておきます。

 

今日も読んでくれた方がいれば、ありがとうございます😊

ではまた次回(^^)‼️

 

「私の教員人生Part4〜特別支援学校編II〜」

今日は沖縄代表、興南高校の試合がありました。5-0から市立船橋高校がじわりじわり追い上げ、最後はサヨナラ勝ち。惜しくも興南高校は敗退してしまいましたが、沖縄代表として頑張ってくれたと思います。お疲れ様でした。

 

私は隔離期間3日目。少し気持ちも前向きになり、読書、映画に時間を使いました。本や映画の感想についても、またいつか書いていこうと思います。

 

 

さて、教員人生シリーズPart4。今回は特別支援学校編の2回目です。

 

前回は、特別支援学校に勤めて「障がい」が「特別」ではなくなった、とお話しました。

 

3年の期間限定のつもりが、肢体不自由児学校に6年、知的特別支援学校に5年、計11年勤めました。

もともと高校野球の監督になりたくて高校教師になった私。最初の特別支援学校から異動する際には、普通高校を希望しました。何の根拠もなく、戻れる!と勝手に期待していた私ですが、届いた通知はまたしても特別支援学校。この時は、なぜ?なんで戻れない?と正直かなり落ち込みました。当時の同僚からは後々、その頃の私には話しかけられなかった、そのくらい、下を向いていた、と言われました。もう普通校には戻れないかもしれない、3年のつもりで希望を出して、叶わずに、でも6年自分なりに頑張った。なのにまたあと5年...。いろんなことが嫌になるというか、こんなはずじゃなかった、という感じで...。

 

 

それでも時間は過ぎていくんですよね、当たり前ですが。転勤先でやるしかない、与えられたところで...。つぎは知的特別支援学校です。また違う世界。なんとか前を向くように、少しずつ気持ちを整えて、新しい校種で顔晴ろう!と。少しずつ、少しずつ。

 

「知的は楽しいよ〜」と先輩から聞いていたのですが、確かにその通りでした。生徒たちは明るくて、急に興奮して叩かれたり、急に走り出す生徒を追いかけたり、頑張る姿に元気をもらったり。素敵な笑顔に癒されることはほぼ毎日。😊

楽しく過ごせた日々になりました。

 

その11年間の特別支援学校勤務のうち、7年は高等部の進路指導部に籍を置いていました。進路主任も3年担当しました。

 

特別支援学校の生徒たちは、高校卒業後は社会に出ていくのがほとんどです。その進路先はやはり福祉事業所が中心になるのですが、その進路決定に向けて毎年、2回職場実習を行うんですね。進路部の仕事は実習先の開拓や実習の計画、進路決定に関わることになります。授業と並行して、外回りで事業所を回るんです。私はそれが楽しくて好きでした。

 

事業所を運営している方々から障がいに関するいろんなことを学んだり、元気を頂くことも多くて。厳しいことを言われることもありますが、一般企業の方が実習を引き受けてくれたり、協力いただいた時には本当に嬉しくて。😊福祉の方から聞く話もとても素敵な話が多くて、困ってるなら新しい事業所作ろうね〜、と本当に作ってくれる人がいたり。夢をもって事業所経営されていたり。そんな時は本当に凄いな、ありがたいな、と感謝と尊敬の気持ちを持つことも多々ありました。これは進路担当にしか味わえない面白さです😁

 

実は生徒たちの進路を決めるのはなかなか難しいことも多いんです。福祉事業所で働く、もしくは生活する際には、介助や補助が必要になるんですが、その人数は学校と比べると少なく、仕事量も多くて、大変なんです。これは社会的な課題でもあるんです。給料を国などがもう少し補助して支えてくれるといいのですが...。そんな厳しい状況のなかでも毎年、卒業生を受け入れてくれる事業所さんがあったり。本当にありがたかったです。

 

私も保護者や生徒たちが本当に満足できる進路先に案内できたか、というと、そうなっていないこともあったと感じます。

 

世の中が、福祉が、もう少し充実してくれるといいなと思います。

 

 

今日もかなり長くなってしまいました。

この辺で終わります。このシリーズはどこに向かっているのやら😅

 

次回は、11年が教えてくれたこと、って感じでいこうと思います。

 

読んでくれた方、ありがとうございます。

ではまた次回‼️🌈