「私の教員人生Part6〜11年がくれたものII〜」
いや〜参った。昨日「エッセンシャル思考」読み終えたばかりなのに、私の文章長っ‼︎ 完全に非エッセンシャル!まぁ誰にも気づかれないブログなのでいいか😅
ということで、今回もテーマは「11年がくれたもの」です。
高校野球の監督になりたくて教師を目指し、実際夢が叶ったものの訳あって、特別支援学校へ転勤。3年で普通校に戻るつもりが11年勤めることになって...。前回はその11年で、いかに自分が恵まれているかなどの「感謝」に気づいた。という話をしました。
気づかされたこと、得たものは他にもいろいろありました。
夢・目標である高校教師、監督になることができた自分。でも、そこから先の理想や目標を持てずにやってきたそれまで。家庭のこと、妻の大変さに気づけなかったそれまで。
そういうことに、この11年が気づかせてくれました。
家事を手伝うようになり、特別支援にも慣れてきて、少しずつゆとりも出てきた頃から、マラソンにチャレンジしたり、それまでほとんどしていなかった読書をするようになったり。始めは、そんなところから「気づき」が出てきました。
初めて那覇マラソンに挑戦した時、生まれて初めて応援の力の凄さを感じました。
読書をするようになって、「生き方」を考えるようになりました。本で世界が広がったり、いろんな価値観に触れることができることを知りました。
最初の8年は、「俺は野球で忙しいんだ!」と勝手に殻を作っていた私が、野球から離れ、違うことにチャレンジできたことは本当に大きかった。実はそういうことが、教師、指導者として大切!ってことにも後々気づくことになります。
そういうことに気づいたのは、2校目の特別支援勤務の頃です。最初の6年間はまだまだ気づけてないことも多かったな、と今書きながら思い出しました。
そう。そうなんです。
1校目の6年が終わって、普通校に復帰できなかった私。でも今考えると、その時点でもし、希望通りに普通校に復帰していたら、実は私、それ以前とほとんど変わらなかったんです。
神様が、「お前はまだだ。もっと学べ!もっと気づけ!」と判断したんだと思います。
それ以前と変わってなかったこと。それは、まだまだトップダウン的な指導しかできてない、というところです。
親として、教師・指導者として「ああしなさい、こうしなさい」という接し方だったんです。時には子どもを怒鳴ったり。そんなところがまだその当時、多かったんですね。学校ではなく、家庭や子どもの少年野球の場で。
それが特別支援勤務の後半5年で少しずつ変わっていくことになるんです。
そのきっかけは、やはり “ 本 “ でした。
ということで今回はここまでにしときます。
やっぱりうまく伝えられてない気もしますが、しょうがないですね😅
前回は読んだ人0でした。それでも書きます。好きなので。
次回は、11年がくれたものIIIになってしまいます。
読んだくれた方がいたら、ありがとうございます😊
ではまた次回‼︎